2015年4月5日日曜日

疑問文が起こすすれ違い

疑問文が苦手です。
文脈によって同じ疑問文が違う意味を持ってしまうため、
すれ違いの原因になりやすいからです。

たとえば、かなり昔の例ですが、
進研ゼミの CM で嘉門達夫の「Go! Go スクールメイツ」の
このフレーズが流れていました。

  宿題を忘れると
  「どうして忘れたんだ」
  理由を言うと
  「言い訳するな!」

ここですれ違いが起きたのは「どうして忘れたんだ」の解釈の違いです。
教師は理由を聞きたいのではなく、批判の意味で疑問文を使ったのでしょう。
けれども生徒の側は文字通りに受け取って理由を答えたため、
教師の怒りに油を注いでしまいました。

私は SNS で疑問文を見ると悩んでしまうことが多いです。
たとえば

  「◯◯なんて、どうやればいいんだろう?」

みたいな文章です。

Twitter などで、いきなりこの発言があった場合、
文脈が分からず、いろんな解釈ができてしまいます。

  A. (文字通り)◯◯のやりかたを教えて欲しい
  B. ◯◯をやるように仕向けた相手への批判
  C. ◯◯ができないので困惑している(と現状をメモしただけ)
  D. 困難を抱えて心が落ち着かないので、誰か話を聞いてほしい
  E. 誰か◯◯を手伝ってほしい
  F. ◯◯に詳しい特定のユーザへのエアリプ
  G. 上記以外

ここで A の意味だろうか、と思ってアドバイスをすると、
相手が困惑した回答をしたり、何の応答もしなかったりすることがあります。
それによって空気の読めていない回答をしてしまったと悟り、後悔します。
また、せっかく書いたアドバイスが無駄に終わった徒労感を覚えます。

かく言う私自身も、B や C の意味で疑問文をツイートして、
他人からアドバイスをもらってしまって困惑し、
そして相手に時間と労力を無駄遣いさせてしまって申し訳ない、
と思ったことが何度かあります。

そういうことを繰り返していると、
相手に勘違いされないように、
A の場合にしか疑問文を使わなくなりました。

他人の発言についても、タイムラインに疑問文が流れてくると
「回答が欲しいのか? それとも感情を吐き出しただけか? それ以外か?」
などと悩んだ挙句、これまでの失敗を思い出し、
A だという確信度が低い場合はアドバイスをしないようになりました。

本当にアドバイスが欲しいケースをスルーしていることもあると思いますが、
相手に迷惑をかける回数があまりに多いと
私の心が折れてしまうので、適当なところで線を引いています。
# ちなみに、A だと確信しても、めったに応答してこないユーザには腰が重いです。

ちなみにこのエントリ自体は状況記述をしているだけで、
特にアドバイスが欲しいという意図はありません。
一方で、アドバイス(コメント)を頂いても迷惑ではない、という立場です。

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