2011年12月23日金曜日

意義なんか気にせずにやっていたら意義が見つかる?


最近自分の目にちょくちょく飛び込んできている主張に

  多くの人がブログなどで自分の意見を公開するのをためらう理由のひとつとして、
  自分の考えがありふれたものであって公開するに値しない、と思ってしまうことがあるけど、
  じつは自分が普通だと思っていても他人から見たら全然普通ではないんだよ。
  だから気にすることなく発信したらいいよ。

というのがある。
ぱっと探せたものだと以下のような記事。

【「普通」を武器にする!自分レベルアップ術】「普通」を発信することを恐れない
http://www.ashi-tano.jp/?p=586

あなたにとって当たり前のことが他人にとっては驚くべき事である - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20111213-obvious-to-you-amazing-to-others

自分が普通だと思っていても他人から見たら普通じゃないことがある、というのは
たとえばテレビでケンミンショーを見れば感じることができる。
自分の出身地域の「普通のこと」に
東京のスタジオが「えーーーーっ!?」と言っているのを見て、逆に驚くはず。

で、ここで立ち止まって、
自分で普通だと思っていても発信できている人ってどういう人だろうと考えてみた。
考えついたのは二種類。

冒頭の記事のように、
自分の考えが普通じゃないこともあるかもしれない、と自覚して
発信している人もいるだろう。

あともうひとつ。
普通であろうがなかろうが発信というか、表現そのもののが好きな人がいるだろう。
後者は巧拙はさておき、表現自体が好きなのだろう。

で、さらに考えてみると、
「自分の意見は意外と普通じゃない」と気づいた人は
後者の「表現そのものが好きな人」が多いのではないかと勝手に思った。
普通だと思ったことも発信すれば、自分が普通だと思ったことに
他人がすごいと思った、というフィードバックをもらいやすいからだ。

まとめると
「発信の意義を気にせず、好きでたくさん発信していたら発信の意義に気づいた」
ということか。

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